
歯科医療の現場を変えるデジタル技工
保険適用範囲の拡大による需要の拡大
従来、虫歯などを削った後につける補綴物は金属製の「銀歯」だけが公的医療保険の対象でしたが、見た目が本物の歯に近いCAD/CAM冠が2014年より一部保険適用範囲内となりました。こうした補綴物は、CAD/CAMシステムと呼ばれるコンピュータシステムを利用して削り出されます。目立たない見た目はもちろん、金属アレルギーの心配もないため、近年こうしたデジタル技術を利用した治療ニーズは急速に拡大しており、高品質な補綴物を早く大量に安定的に生産する体制が求められています。
デジタル化がもたらす大幅な効率化
デジタル技術の進化に伴い、コンピュータシステムを利用した補綴装置の製作は世界的に進んでいます。従来の補綴物の製作は、経験を積んだ歯科技工士が石膏の歯型をもとに手作業によって行ってきました。対して、ミリングマシンを活用したCAD/CAMシステム等のデジタル製作フローでは、こうしたアナログな作業工程が大幅に短縮されます。製作フローが効率化することによって、歯科技工所の人手不足解消に貢献すると同時に、より患者様に喜ばれる質の高い補綴物の製作が可能となります。
デジタル技術によって変わる歯科技工ワークフロー
従来のアナログ技工
歯科医院
・印象採得
・石膏模型
歯科技工所
・3Dスキャナー ・作業模型作成
・トリミング ・マウント
・ワックスアップ ・鋳 造
・レイヤリング完成
※概ね熟練した技術が必要な手作業
歯科医院
・試適調整
・装着完成
懸案事項
時間・コスト
石膏膨張
将来のデジタル技工
歯科医院
・IOSによる
光学印象採得
歯科技工所
・作業模型のデザイン
・3Dプリンターによる模型製作
・CADによる補綴物のデザイン設計
・CAMおよび3Dプリンターによる製作
・研磨 ・レイヤリング完成
※仮想処理作業を指します ※データ転送による製作
データ
歯科医院
・試適調整
・装着完成
懸案事項
時間・コスト
レジン収縮
※3Dでの製作の場合
これまでロストワックス法を基盤とした印象採得から補綴物の完成までのワークフローは、高いレベルで30年以上前に完成されており、長きにわたって標準的に用いられてきました。しかし、CAD/CAM導入の大きな意義は、ロストワックス法に取って代わる方法で補綴物を製作できるようになった点です。つまり、作業用模型上でワックスアップし、埋没、鋳造するという一連の作業が、模型のスキャン、ソフトウェア上でのクラウンデザイン、ミリングマシンでの加工製作へと変わり、歯科技工のワークフローが完全にデジタル化へ移行できることを意味します。デジタル化することにより、ワックスアップから鋳造までの製作過程に伴う医療材料や作業の繁雑さ、埋没材の硬化膨張や鋳造収縮に伴う寸法変化などの問題の多くが解消されるだけでなく、模型の形態やデザインされたクラウン形態のデジタル化により、データ保存や共有などの利便性が著しく向上すると思われます。
口腔内スキャナーがもたらす恩恵
歯科補綴において、従来の印象採得方法には、印象材の重合収縮や石膏の硬化膨張などのエラーが生じることがあり、また、作業模型を光学的にスキャンする際にも、スキャン時のエラーが加わることが問題視されています。しかし、口腔内を直接光学的にスキャンすることにより、少なくとも印象材の重合収縮や石膏の硬化膨張のエラーはキャンセルできるため、理論上は従来法より適合の良好な補綴物を製作できることになります。
また、口腔内スキャナーによる咬合採得についても、咬合嵌合位における上下顎のしれるを光学的にスキャンして記録することができるため、高い再現性を有します。さらに、口腔内スキャナーによる印象採得では、印象が適切に採得できているかどうかを即座に視覚的に確認することができるため、印象不足や形態の不良などがあれば即座に修正することができます。このため、従来の印象採得方法に比べて、印象不足や石膏模型のトラブルが激減するとされています。
一方、印象採得に広く利用されるシリコーン印象材は細部再現性が優れており、流れが良いというメリットがありますが、印象採得中に咽頭部に流れてしまうことがあるため、患者にとって不快な思いをすることがあります。一方で、口腔内スキャナーを用いた光学的な印象採得では、患者にとってより快適な方法であるとされています。
有床義歯におけるワークフローの未来
クラウン・ブリッジやインプラント上部構造製作ワークフローへのデジタル技術の応用はかなり広範囲にわたって普及しており、システムも洗練されてきました。それと比較して、有床義歯臨床におけるデジタル技術の開発は一歩遅れている感がありますが、この分野へのデジタル技術の応用についても多くの報告がされています。例えば、CAD/CAMシステムを用いることで、無歯顎患者に対して1回の通院で全部床義歯を製作するシステムが実用化されています。しかしながら、これらに用いられる欠損部顎堤の3Dデータには、従来のシリコーン印象材による印象面を光学スキャンしたものが使用されており、欠損部顎堤を直接光学印象して得られた3Dデータを用いた報告はありません。
現状でも口腔内スキャナーを用いて粘膜面を光学印象することは可能ですが、口唇および頬粘膜、舌を的確に排除する必要があるため、術者のみならず介助者の熟練度を要します。また、光学印象は基本的に解剖学的印象であり、従来行われてきた個人トレーとモデリングコンパウンドを用いて行われる辺縁形成による床縁設定や欠損部顎堤部に対する機能(加圧)印象を光学印象で行うことは困難です。しかしながら、義歯床を小さく設定することが可能で辺縁形成を必要としない歯根膜指示型義歯が適応となる中間欠損症例においては、口腔内スキャナーによる光学印象が十分に適応可能であり、歯牙および欠損部粘膜面を光学印象した3Dデータ上において設計された義歯を製作・装着した臨床報告もされています。
現在、無歯顎や多数歯欠損症例においては、欠損部の顎堤の機能印象や顎間関係記録、人工歯排列位置の決定などをデジタル技術で直接行うことはできません。これらの問題を解決するには、多くの技術革新が必要となりますが、現在では、治療用の義歯を製作し、それをデジタル技術でコピーする方法や、ラピッドプロトタイピングを用いた試適用義歯を用いる方法、顔貌シミュレーションの応用、テンプレートを用いた人工歯排列など、有床義歯治療においてデジタル技術を応用する方法がいくつかあります。
これらの問題に対しては、いくつかの対応策が検討されています。特に、筋圧形成に関しては、光学印象採取の仕組みを鑑みると、可動部粘膜をスキャン時に筋圧形成を行うような動作で持続的に動かすことにより、可動部粘膜と非可動部粘膜の境界をスキャンできる可能性があります。つまり、非可動部粘膜は動かないため、適正なデータが生成されます。また、可動部を断続的に動かすことにより、意図的にノイズを多く含んだ画像を取得し、その部分が自動的に、または半自動的に棄却されるようなデータが生成されれば、理論的には筋圧形成に相当する形態データを取得できると考えられます。今後は、この試みについて多面的に検証し、実用性についてさらに検討される予定です。
参考文献:日補綴会誌Ann Jpn Prosthodont Soc9:38-45,2017
「補綴歯科治療のデジタル化の現状と未来」著者:田中晋平,馬場一美
